シンデレラガールズ、たぶん好きじゃない【10周年ライブファイナル感想】

「好きでよかった」は私にはまぶしい

どうも、せつ(@tatitutetotato)です。

2022年4月2日,3日にあったシンデレラガールズの10thライブツアーのファイナル公演に参加してきました。1日目は現地(ベルーナドーム)、2日目は自宅配信で。

プリンスドーム→メットライフドーム→ベルーナドームの名前変更ムーブ

10周年ライブファイナルのコンセプトは、

  • キャストがオールシークレット
  • 10年間のコンテンツを振り返ろうという企画
  • 1日50曲を披露(2日間で100曲)
  • 出演キャストも50人越え(総勢77名+α)

という、なにもかもが規格外なクソデカイベントでした。

そんな集大成的なイベントであったにもかかわらず、私の心を満たすものではなかった。というのが正直なところです。

1日50曲というのはたくさん聴けてよいのですが、数曲おきに流れるプログラムの紹介映像(「Next なんたら is…」のやつ)が常に気持ちを切ってしまうせいで音楽イベントとしては惜しかったなという感想。最終ブロックはぶっ続けで曲が披露されたり生バンドということもあってとてもよかったです。

そんな中、参加した他のひとたちからは大絶賛の声。

終演後に目に入った感想で多かったのは

「シンデレラガールズをずっと追っていてよかった」「好きでいてよかった」というもの。

つまり今回のライブの最終評価を決めたのはシンデレラガールズが好きか好きじゃないかであり、私はシンデレラガールズのことが好きじゃなかったのでした。

嫌いでもないですけど。

担当アイドルができない

シンデレラガールズが好きじゃない理由はなにか?

その答えをさいたまの奥地で探していたわけですが、たぶんおそらく十中八九シンデレラガールズに担当アイドルがいないことが原因だと思います。

担当アイドルがいない = 真剣度が足りない という構図。

今回参加していたプロデューサーは、キャストがオールシークレットの中で担当アイドルが来るかもしれないし来ないかもしれないと、期待と不安の気持ちで吐きそうになりながら参加していたのでしょう。(過剰な表現)

そんな中で、自分はシンデレラアイドルの誰が来ても来なくても絶対に担当アイドルはいないので、よく言えば穏やかな気持ち、悪く言えば感情の振れ幅がない。この時点から負けイベフラグが立っていました。(というかオールシークレットとかいうやり方のせいで、もしかするとデレ以外でも来るのか?みたいなのを警戒していた気持ちは多少あった)

そして特に当事者ではないことを感じたのは2日目のalways。

alwaysはそのときの出演者全員に加えて、後ろのモニターにもシンデレラの全アイドルが立ち並ぶという、つまりはみんなのalwaysと言っても過言ではない演出でさすがにこの演出には会場のほとんどのプロデューサーが涙したことでしょう。

しかし、190人全員が揃おうが、その中に自分の担当アイドルはいない。これは完全にもったいないとさえ思いました。

というところで、以前にも今回の主旨と同じようなことを発言していたのを思い出したのですが、そのときもalwaysが披露されたときだったので、結局は当事者になれず疎外感を感じているだけにすぎなかったわけです。

alwaysがな…alwaysが被弾する人間になりなよ…

じゃあなんでライブに来たのか?と聞かれると、音楽ライブとしての期待と、あとは1stライブから参加しているが故のやや惰性的な気持ち。音楽ライブとしての期待は前述したように思っていたのとは違いましたけど。

なぜ担当アイドルを作らないのか

疎外感を感じて愚痴を言うくらいなら担当アイドルを作るかシンデレラガールズから離れればいい。というのは私も思います。

離れにくい理由としてはアイドルマスターシリーズである以上はばっさりとは切りづらく、合同ライブとかをやるときのために曲だけは聴いてるせいで行ったら行ったでそこそこには楽しめるわけで、新幹線や飛行機を使わない範囲ならなんとなくでチケットを取ってしまうわけです。

担当アイドルを作れない理由に関しては生半可な覚悟で担当と呼ぶのに抵抗があるといいますか、もともと担当と呼んでいたアイドルもいましたが結局なにもできずに担当アイドルの断捨離をしていました。(いちおう神谷奈緒担当を名乗っていた時期もあった)

ミリオンライブをメインでやってて他タイトルで担当アイドルを作れるほどフットワークが軽くないというか、そうすると財布だけが軽くなるというかそういう感じです。

ガシャが来たら回すまではしなくてもいいとは思うけど、担当アイドルと言うくらいならスカチケが来た時には引き換えに行くくらいはしたほうがいいよね。と思う反面、普段まったくやらないデレステに課金するのもな…って気持ちになる人間なので、結局よっぽど衝撃的な出会いがない限りはこれからもシンデレラガールズに担当アイドルはできないと思います。

でもやっぱり眩しい

担当アイドルはいないけどライブは楽しみまーす!みたいに開き直れればいいですが、シンデレラガールズに真剣なプロデューサーと比べるとやはり全然楽しめてないなとは思ってしまいます。(他人と比べることは最もやってはいけない行いのひとつ…)

アイドルマスターはロールプレイングゲームなのでどれだけプロデューサーになりきれてどれだけ現実で担当アイドルを感じられるか、というのは充実感に直結すると思います。ライブイベントは3次元の出演者を媒体にして2次元のアイドルを感じるための儀式会場みたいなものでもあるのでさらに没入感が必要となるでしょう。

滅多にライブに来ないアイドル、ソロ曲が実装されていないアイドル、そもそもCVがまだ実装されていないアイドルなど、普段のデレPは常に闇を抱えているようなもので、正直辛そうだなと外から見てて思うこともあります。

けれども、そんな闇が報われることで一瞬だけ眩い光を見せることがあり、その瞬間を最大限に味わえるのも普段から闇を抱えている彼らだけです。

高垣楓さんの現地ステージに居合わせることができたひとやalwaysを浴びたプロデューサーは「報われた」と声にしているのだからきっと報われたのでしょう。

そんな光景をみていると、やっぱりシンデレラガールズというコンテンツにはパワーがあるのだと思わされます。隣の芝生が青く見えるだけでしょうか?

好きかどうかって個人の感覚の問題だから

ここまで書いたうえでやっぱり自分はシンデレラガールズが好きではないのだろうと言います。嫌いというわけでももちろんないですが。

決して当事者になることのできない世界とそこの住人を見てうらやましさを感じる世界。とはいえ、他タイトルのPも多かれ少なかれそういう感情はあるんじゃないでしょうか。好きなものに理由はないですし、興味のないものには興味がない。そんなものです。

そういう意味では、担当がいるかいないかというよりはそのコンテンツにホーム感を感じているかどうかなのかもしれません。課金をする気のないデレステにホーム感を感じることはまずないでしょうが。

というわけで、またライブでalwaysが披露されるたびに今回みたいな感情になって寂しい想いをしていくかと思いますが、シンデレラガールズさんのライブにはまたお邪魔したいです。

おわり。

西武池袋駅の通路がマジカルワンダーランド仕様に

CD列は整理券で対応していました。

なんだかんだ言って楽しかったけどな!!